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右腕が筋肉痛… [駄文]

確定ですね、という話を。

雑記以上に駄文というか一種のカタルシス? あるいは自己浄化? なのでまあ華麗にスルーするのがよろしいかと思われますよ。乱文悪文長文ですし。
(一応、注意はしましたよ)

…ただいまです!

あれなんです、ライブに行ってきたんですね、サンホラの。北海道初上陸! とのことで、サンホラーな友人と一緒に。

で、

「右手を高く上げてリズムに乗って降る運動」

とか、

「右手を高く振り上げてリズムに合わせて旋回する運動」

とかをね、ガラにもなくやってしまって…既に身体の要所要所が痛いということですよ。

(以下、ハイテンション&支離滅裂注意!)
しかしまあ…ライブすごい!! ホントすごい!!
(ライブの詳細はサンホラーの皆様方に譲るとして…以下「ライブというもの」についての感想)
今まで、ライブというものを経験したことがなかったのです、熱気すごい! 
これがライブというものか!って感じです。
なんか馬鹿みたいに興奮してますが、馬鹿みたいに興奮してるので仕方ない。
すーっと深呼吸して落ち着こう。
(ふう、落ち着いたかな?)

普段は基本的にパッケージされたものしか聴かない身なので、すごい新鮮だったです。まあ、クラシックの「コンサート」はごくたまに聴きに行くことはありますが、それは「ライブ」とは違いますよね? コンサートさえもパッケージされたものといえなくもないから。ああ、もう一度いおう、ライブすごい。ホントすごい。

(なんか、もんのすごいハイになってるなあ、とここまでの文章を読み返して思う。しかし構わず続ける)

繊細さとか、小綺麗さとかなんてものはないんですよね、はっきりいって。端的にいって、それを求めるならCDの方がずっと完成されているんだし。荒々しさ、っていうのとはちょっと違うし、なんだろう、それを表現する言葉が見あたらないんだけど、なんだ、「規格外」? 違う、なんだろう。ちょっと言葉が選べない。ああ。
すごく、変な言い方になるんだけど、「音楽を体験する」ということ? 確かに音楽を聴いているんだけど、意識は音楽に向いてるんだけど、しかし「自分が音楽を聴いている」ということは意識していない。「自分が考えている」ということを考えていない。忘我? いや、違う。意識はちゃんとあるんだよな-。理性もちゃんとある、おそらく。ベタな言い方をすれば、音楽を「身体で感じる」? ってことかもしれない。音楽のダイナミズムに巻き込まれるというか…ああ、もう意味不明だ!
 まあ、当たり障りのない表現を使って説明すればこういうことになるのかな。今までにしたことのない音楽の聴き方をした、と。ライブとかよく行く人なら当然の感覚なのかもしれないけど、まあ私にとっては初めての感覚なんだ。大げさに言えば、新しい世界がひらけた、みたいな。はは、かなり大げさだけどね。非常に変なたとえで恐縮なんだが、初めてベートーヴェンとかマーラーとかワーグナーとか耳にした聴衆にはこんな気分になった人もいたのかもしれない。あ、もう文体も崩れてる。まあいいや。

…こんな風に「ライブ」というものに素直に感動している自分がいる一方で。
 醒めている冷静な自分も当然頭の中にいるわけでして、静かにこうつぶやくわけですよ。「こういう音楽は自分には作れないな」と。無論「こういう音楽」ってのが「サンホラのような音楽」を指すわけではないです。うまく言えないのですが(自分の言語能力のなさに本当にうんざりする)「生きた」音楽、とでもいえばいいんでしょうかね? なんだろ、「自身に量り知れない部分を許す」ような音楽? まだ十分に説明できた気がしない。あ、「自身だけで完結しない」音楽、あるいは「自己充足しない」音楽といえばいいのかもしれません。ちょうど、「自己完結した」音楽、の逆で。いや、意味不明か。もはや自分でも何が言いたいのかわからない。

 私の作る音楽っていうのはある意味で自己完結してると思うんですよね。すべてが私の枠の中に収まってしまう、というか。具体的にどうこうっていうよりはニュアンス程度に過ぎないんですが。
 私の作品っていうのはある意味でミニチュアであって、その作品はミニアチュールであるがゆえに、私という枠を破ったり越えたりすることがないんですよね。さしずめは「管理された小宇宙」っていったところ? ミクロであってもマクロではない。ある意味では私の理解できるものだけで構成されているというか。内部で充足するわけだから、それは自己完結っていっていいわけで。
 先述した「パッケージされた」ってことを加味していえば、私の作りたい音楽はおそらく「完璧なパッケージ」なんでしょうね。誤解を恐れずにものすごい端的な言い方をすれば、「あらゆる音符を自分の意識の管理下においた上で」作られた美しい音楽、というのが理想なんだと思う。あらゆるものが自分の企図のうちにあって、不確実な部分がない。作品が包装を破って飛び出すこともない――だからパッケージド。
 パッケージド/アンパッケージドに優劣なんてないと思う(西洋古典音楽が徹底してパッケージドを志向した(まあ十二音音楽かその手前ぐらいまでは確かにそういえるはず)のに対して、ロックとか、ジャズとか、あと「民族」音楽? とかがアンパッケージドを志向しているように僕には思われるけど、それらに優劣がつけられるか? 否、ですよねおそらく)ので、それが悪いとも思わないし、自分の志向性も変わらない。
 ただそれ故に、隔絶感、とでもいうのかな。「こういう素晴らしい場所があるんだけど、自分はそこに永遠にたどりつくことはできない」というようなことを感じた。結局私には私の作る以上のものは作れない、っていうある意味で至極当然な確信を持つに至ったわけですね。ひょっとして感動と絶望は紙一重なのかも、などともちょっと思ったりもしましたが。
ただし、と注釈をいれておきましょう。自己完結っていうのはあくまで私にとってという話です。私にとっては自己完結に見えているものが、他の人にとってはまだまだ未完成に見えるかもしれない。だからそういった視点を共有することに若干期待はしています。あ、こういう解釈もあったんだ! とか、ああそういう感じ方もありか…?とか、ニコのコメントを見ているだけでも思ったりします。そういった自分の作品の自分には見えてない可能性を見る、っていうことではニコニコって修行にはうってつけな感じがする。幸いなことに自己完結に浸るにはまだまだ実力が足りないということはわかってるのでwまだまだニコニコにお世話になると思います、よろしくね!

ふう。書いた。なんか変なこと書いた。でも消さない。反省はしよう。後で。

ダシにしといてサンホラのライブに全く触れない、ってのはあれなんで、かる~く触れときましょ。

・「檻花三部作」のうち、二曲(花と遊戯)やるとは! 抜群に良かった、ライブver.かっけー!
・「檻の中の遊戯」に手拍子をするには2,3,5拍を打てばいいのかな?
・「恋人を~」のあれは、Jazz ver.? 良かった!
とりあえず、私的に言っときたいのはこれぐらい。他のも良かったってことはこれまでの私の興奮ぶりをみればわかること。
しかしなあ、Romanを予習しておくべきだったよ…(音源は1期のものしか持ってないので。Moiraは予習したんだけど) あ、あと聴いてて1期は「妖艶+かっこいい」で、2期は「かっこいいに特化」だなあ、と思った。完全に私感だけどね。
(やっぱり4月といえどTシャツと上一枚で外で待つのはきつかったね。札幌だしね、うん)

めずらしく冗舌な雨傘Pでございました。こんなことはもうありません、たぶん。
最後まで読んでいただいた方(もしいらっしゃれば)には変なものを読ませてしまって申し訳ない。
ライブの熱気に中てられたようで、とりとめもないことをつらつらと書き汚してしまった感がありますが、まあ、反省はしますので許してやってください。
ちなみに帰ってきたのが22時で…今25時24分ってなんぞ?! ってな勢いです。大目に見てやってください。
酔ってませんよ?

P.S.
ああ、そういえば先日また年をとりました。相変わらず容貌に年が追いついてないと言われますw
ちなみに{x|xは2素数の積で奇数}歳です、お察しくださいw
腕だけでなく腰も痛い…明日は大丈夫か…?
(やっと興奮が冷めたかな…)
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肩

7かける5歳ですね、わかります

(書いておいてなんですが、この段落は読み飛ばすべきだと思います)ライブ感っていうのも独特ですよね。どういう言い方をしてもいまいち合わないけれど、強いて言えば「熱さ」とかになるのかな?いやいや、「熱さ」っていったら興奮や熱狂を指すわけで、熱さの原因になるライブそのものの音楽体験の特性を言い切れていない。あのライブ体験を指すのは「一体感」というのが近いけど、周りの見知らぬ人たちとそんな急に一体にれるものでもないハズ。忘我状態でもない、ちゃんと意識は持ってます。精神鑑定でも正常です。

……と、消去法で考えると、ライブ感っていうのは「音楽に圧倒されることで自分と外界との境界がわからなくなった状態」のように思えるのですよ。「無我の境地」という言葉に「境」っていう言葉が入っているのもそういうことではないかと(調べたわけではありませんが)。パッケージ型の音楽って言うのは、そういう風に徴収を圧倒して境地に追いやるというよりも、固まった世界観をぶつけるタイプの音楽なのではないかと思います。
by 肩 (2009-04-10 02:28) 

rainyday

>肩さん 

>7かける5歳
…ニヤリ

>「音楽に圧倒されることで自分と外界との境界がわからなくなった状態」
言い得て妙ですね! うん、その言い方が一番しっくりくるような気がします。自他の境界が吹っ飛ぶような音楽と、逆に境界がはっきりしていて外から鑑賞する音楽――といった感じですね。

さて、境界をいつか吹っ飛ばすことに憧れつつ、私はまたパッケージ型音楽の制作に戻るとしましょうか。

by rainyday (2009-04-12 21:34) 

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